私がバッチフラワーエッセンスと出会うきっかけやそれまでの経緯、思っていることなど少し詳しく、長くなりますが書いてみたいと思います。
私は今から7年前、大腸がんの診断を受け手術を受けました。
初期の発見ではなく、ステージでいうならIIIa、自覚症状を伴った進行したものでした。
直感的にも軽いものではないと覚悟をしたのを覚えています。
そして、今年のはじめに医師からの完治という言葉とともに定期的な検診は終わりました。
振り返ってみれば病気になる数年前からネガティブの塊のようだったと思います。
子供の頃からのことも考えるなら、私の家族は難病を患っていたので、病気とは何か、いったい幸せとは何なのかという思いまでもが常に付き纏っていて、そんな気がかりなことにいつも思考を巡らせ、時には病気による外見の違いに向けられる視線や心無い言葉に怒り、悲しみ、絶望し、何もできない自分に対して無力感や虚しさを感じ続けていたのだとバッチフラワーエッセンスを学んだ今は、そう思えます。
心と身体は繋がっているとは本当に、身をもって経験をさせてもらえました。
私自身、病気をきっかけに生活や考え方は徐々に変化していくこととなり、治るための自分が気になった方法は可能な限りやってみました。
常に選択を迫られ、恐れとの闘いのようでした。
病状や治療などの説明の中では、不安を煽られる問いかけの連続で、無意識にも押しつぶされないようにと緊張を保った日々でした。
検査に続く検査、結果を待つまでの日々。
検査結果を聞きに向かう道のりでは、帰りのこの景色をどんな気持ちで見ながら帰るのだろうかと悲しさや諦めにも似た感覚を感じたのを覚えています。
そして、その後も医師からの不安材料の確認と念押し、今までそんな選択をした人はいないとまで付け加えられて、考え直す猶予までもれなく頂きましたが、私は手術のみで病院での今の基本とされる治療は受けず、経過観察の定期的な検査のみを受けることを自分自身で選択しました。
その間にも家族とも相談をし、意見も聞きましたが、最終的には家族みんなが私の選択を受け入れてくれました。
当時は小学生だった子供たちには詳しいことは伝えませんでした。
入院中、術前、術後も家族や友人たちのあたたかい励ましと、自分の体のことを優先させてもらっていることに感謝をしながら、また、切除される大腸に心からのごめんねと身を呈して教えてくれたことに感謝を伝えました。
そうした中でたくさんの本や、たくさんの方が書かれたブログなどを読み、前向きな力をもらいながら、また闘病記録としてのブログの更新が何年、何ヶ月も途中で止まっているブログを見つけては、心が痛み、現実を突きつけられる思いもしました。
怖さに押しつぶされて気力が無くなってしまった時も何度もあったけれど、末期から元気になった方々がたくさんいたり、病気をもちながらも前向きで元気を与えてくれる方たち、最初の担当医師の座右の銘、ピンチはチャンス!に勇気をもらいました。
定期検診の時には、毎回先生と一緒に何かで笑って、そして帰って来ようという自分の中でのミッションも。
それから行きつ戻りつしながらも、身体をケアする中で切り離せない心があると辿り着き、バッチフラワーエッセンスと出会うことができました。
こんな時にもっと早くフラワーエッセンスがあったならと思う場面が思えばたくさんありましたが、今ではその経験があったからこその出会いがあり、理解が深まったと感じています。
病気とは、健康とは、幸せとは。
バッチフラワーエッセンスの理念やバッチ博士の哲学は、自分の経験から共感と納得がいくものでした。
今では、昨今強くなっている病気に対する絶対的悪な捉え方は、大切な自分自身の心を置き去りにしてしまっているように思います。
体は私たちの思考よりも知っているのです。
良くなることを。
体調を崩したり、病気になることは今までの不調和に気づき、改め見直すことを体は教えてくれています。
また回復への経過でもあります。
そして症状が深刻であればあるほど、目に見えることだけでなく、本当にこのままの自分でいいのか。
自分の心は本当は何を望んでいるのか。
そんな心の声に耳を傾けるチャンスでもあると思います。
それでも、健康であること、病気を治すことだけが目的になってしまったときには、それもまた不調和となり、本当の健康、幸せからは遠ざかるのだとも私は思います。
不調和は調和を思い出すための必要なことであると思います。
不調和を通して調和を取り戻す。
悪化するようにみえることもそこから良くなっていくための道のりにすぎない。
数値化されて目に見える形にしたものと、目に見えない自分の心と相談してみることは大切だと思います。
そして決断や選択の場面にはいつも恐れがあることを知っていれば、静かに落ち着いて出来事をみつめることができ、自分にとってベストな選択や決断に繋がっていくのだと思います。
そんなときこそフラワーエッセンスを飲んでみることも選択できる。
いま置かれた状況がどうあっても、疑問や違和感を見過ごさず、時には当たり前だと思っているそのままの通りにではなく、自分が心から決めるということができたとき、自分の内側から力が溢れてくるのだと思います。
今年になって完治をしたことを区切りとし、それぞれ中学生、高校生になった子供たちへすべて伝えました。
当時は何があっても絶対に伝えない、病気であるようには見せないという気持ちが強く、今となればそれは頑なになり過ぎていたとも思えます。
それでも、それがその時の選択と覚悟となり、その時に頑張ってくれた自分がいるから今の自分が在るとも思えます。
この経験をすることができたことは本当に良かったと思っています。
その時その時の出会いがあって、たくさんサポートしてもらい、そのすべてのお陰だと思っています。
今回も友人とフラワーエッセンス仲間が同時期に、あたたかく私の背中を押してくれたひと言のお陰で、勇気を出してこの記事を書くことができました。
自分のことは自分でもわからないことのほうが多いと思います。
それはそのときそのとき、いま、自分で選択していくからこその自分らしさなのではないかと思うのです。
そしてその選択の積み重ねが自分らしい人生であるとも思います。
だからこそ、良い悪い、正しい間違っているが当てはまらない時もある。
病気であっても、なくても
みんなと違っても、同じでも
どちらであっても
いつでもどこでも
自分が選択できる自由がある。
それは心からの覚悟なのだと思うのです。
それは幸せなことなのだと思うのです。
そしてそれは自分を大切にするということでもあると思うのです。
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